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岐阜地方裁判所 昭和34年(レ)28号 判決 1960年10月31日

控訴人(債権者) 加藤キラル

被控訴人(債務者) 末次藤雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人の申請により岐阜簡易裁判所が昭和三十一年九月三日なした仮処分決定(昭和三一年(ト)第四四号)はこれを認可する。訴訟費用は第一、二審共に被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係は、つぎに付加するもののほか原審判決中の事実欄の記載と同一であるから、これをこゝに引用する。

控訴代理人は

一、本件強制執行の基本となつた和解調書には、つぎの如き瑕疵が存在するから無効である。すなわち

(1)  控訴人は、その代理人と称して右和解をなした大橋梅一に対して、本件家屋を代物弁済に供すること並びに右和解をなすことにつき代理権を授与したことがない。

(2)  右和解には、当事者間の互譲によつて解決すべき民事上の争いがなく、たんに金銭消費貸借に関する担保契約として利用せられ、これに基く担保目的物の引渡義務につき強制執行を可能ならしめるためになされたもので、その脱法行為たることが明白である。それ故、和解の実体的要件を欠いている。

(3)  右消費貸借上の債権者は、訴外松久政市であり、従つてまた担保権者も同人であつて、被控訴人ではないから、右和解並びにその内容をなす代物弁済契約等は、他人名義を利用してなされた一種の虚偽表示である。

(4)  本件家屋は、控訴人が昭和二十八年中、訴外松本曹行と離婚するにあたつて、子供二人を養育する代償として同人から贈与を受けたもので、控訴人ら母子三名にとつて唯一、不可欠の生活資料でありまたその本拠でもある。それ故、控訴人は、右和解により右家屋に対して強制執行を受け、自己の住居を奪われることを知つていたならば、かゝる和解をしなかつたのであるが控訴人はかゝる事情を認識する余地もなかつたので、仮りに、前記の無効原因が存在しないとするも、なお要素の錯誤があつて、右和解は無効である。

(5)  前記大橋梅一は、本件和解にあたり、被控訴人からも委任を受けているから、右和解は実質的には双方代理行為であつて、その効力を有しない。

(6)  前記消費貸借における債権額は、実際に和解当時金九十九万六千九百四十六円にすぎないが、本件和解は右債権額を真実に反して金百十万円となしたうえ、時価約百万円に相当する控訴人所有の本件家屋及び時価約百三十万円に相当する訴外加藤得誠所有の土地建物の双方を担保となし、わずか一個月の短期間内に右百十万円を支払わないときは右各不動産を代物弁済とし、即時かつ無条件に明渡しの強制執行を受けるべきものとしている。かゝる契約は相手方の無知と急迫に乗じてなされた暴利行為として、その効力を否定されるべきである。

二、仮りに、本件和解調書がその成立時期に前述の如き瑕疵を有しなかつたとするも、その後において、左記の如き事情が生じたから、本件強制執行が違法もしくは不当であることに変わりがない。

(1)  右和解の内容となつた債務の弁済期は、和解調書の記載のうえでは昭和三十一年四月十一日となつているが、実際は同年五月末日とするものであつたので、右弁済期以前で、かつ本件強制執行以前である同年五月四日、共同債務者たる前記加藤得誠は金七十四万四千二百三十二円の弁済をなし、残額はわずかに金二十五万二千七百十四円にすぎなくなつたから、かゝるわずかな金額のために本件家屋を以つて代物弁済となすことは暴利行為としてその効果を生ぜず、従つて代物弁済により生じた家屋明渡義務の存在を前提とする強制執行が許されないことは明らかである。

(2)  本件和解調書上は被控訴人のために代物弁済契約と共に同一目的物につき抵当権が設定せられ、被控訴人は、代物弁済に基く権利の行使と抵当権の実行とのいずれか一方を選択しうるものとされているが、被控訴人は弁済期後において、被担保債権につき任意の弁済を求めたので、これに応じて前記加藤得誠は同年八月十六日右債務を完済し、かつ超過支払を生ずるに至つた程であるから、本件家屋が代物弁済によつて被控訴人の所有となることはない。

(3)  本件強制執行は、債務名義たる和解調書の送達なくして行われたもので違法である。

三、控訴人は、本件家屋の占有を侵害せられた結果、右家屋における日常生活が殆んど不可能となり、そのため夜間は隣家である神谷栄次方で起居し、不自由な生活をしている。また控訴人は配偶者なく、右家屋を絶対に必要とするうえ、なお控訴人の長男勝巳(十一歳)及び二男浩美(九歳)の二児はやむをえず申請人の実家である岐阜県本巣郡穂積町所在の加藤得聞方に寄寓しているが、右二児も新学期を迎えて岐阜市内の梅林小学校に通学する必要上、本件家屋に戻る必要がある。他方控訴人は、別に独立の自己の住居を有し、また本件家屋には留守番一名を置くのみで、その利用をなさずにいる状況である。右の如き事情の下においては、本件家屋の一部を仮りに控訴人に利用させても被控訴人には殆んど苦痛を感じさせない。

と述べ、立証として当審証人加藤得聞、同加藤得誠の各証言、当審における控訴本人尋問の結果を援用し、乙第十号証の成立を認めた。

被控訴代理人は

控訴人主張事実中、控訴人が本件強制執行前に本件家屋を占有していたこと、被控訴人が控訴人主張の債務名義に基き右家屋に明渡の強制執行をしたこと、右債務名義たる和解調書に控訴人主張の如き記載があることは認め、その余の事実はいずれも否認する。およそ、強制執行は、執行終了前にかぎつて執行法上とくに認められた異議を本案としてのみ、その手続に付随する執行停止等の処分を求めうるにすぎず、一般の仮処分によつてはこれを妨げえないのである。そして、本件における強制執行は、本件仮処分申請当時すでに全部完了しているから、その後に及んですでになされた執行を覆えし、その効果を無効に帰せしめるが如き仮処分は許されない。また、かりにそうでないとするも、すでに執行完了の故を以つて請求異議の訴が許されないものである以上は、これを本案とする仮処分も、もとより許すべきものではない。と述べ、立証として、乙第十号証を提出し、当審証人加藤俊永の証言を援用した。

理由

控訴人がもと原審判決添付目録記載の家屋を占有していたこと、被控訴人が昭和三十一年七月二十八日、岐阜簡易裁判所同年(イ)第九六号事件の和解調書の執行力ある正本に基き右家屋に対して明渡の強制執行をし、その結果右建物中八畳の間及びその北に隣接する六畳の間に対する控訴人の占有が奪われたことは当事者間に争いがない。

一、控訴人は、右の強制執行に対する請求異議の訴及び占有の侵害に対する占有回収、同保持の訴を本案として本件仮処分を申請するというにあるが、右異議の訴が提起しうる場合にあつては、これを本案として訴訟上特に認められた手続により、執行の停止はもちろん、執行を終えた部分の取消をも求めうるから、これによつて執行上受くべき不利益は充分に回避しえられるわけで、かゝる手続による救済方法が法律上とくに定められているときは、もつぱら右の手続によるべく、一般の仮処分は許されないと解せられるのであり、他方、強制執行が完了したときは、請求異議の訴自体がすでに許されないのであるから、これを本案として保全せられる権利はありえないのである。それ故、控訴人主張のその余の被保全権利たる占有回収の訴及び同保持の訴を本案として保全せられるべき権利、の疏明の有無につき、以下にこれを検討する。

二、控訴人は、本件家屋のうち、本件強制執行の結果、占有を喪失した部分につき、その基本となつた和解調書が無効であるから、占有回収の訴により保全しうべき権利がある旨主張する。しかし、占有回収の訴は、たんに占有者の意思に反する占有のはく奪があつたということだけでは足りず、それが違法な行為に基くものでなければならないこと、またかく違法な占有侵害は強制執行の場合にも生じうべきことは異論のないところであるが、強制執行の基本となる債務名義が正規の方式によりかつ正規の機関により作成せられて、客観的に一応存在すると認められる場合には、たとえその成立手続または内容に瑕疵が存在しまたは発生したとしても、かゝる債務名義による強制執行がたゞちに違法となるものではない。そして、この理は債務名義が和解調書である場合にも異ることはなく、ただ和解調書にあつては、その成立手続または内容に実体法上の無効原因が存在する場合には、再審または請求異議の訴によつて債務名義たるの効力またはその執行力を排除することを要せず、たゞちに無効を主張しえ、従つて和解調書無効確認の訴の如きも許されるというにすぎない。そして、かゝる訴訟によつて形式上存在する執行力の排除が確定されたとき、はじめてその債務名義による執行が違法性を帯びるに至るものであつてこのことは国家的行為の公定性及び執行機関の職責上明らかだといわねばならない。他方、かかる国家的行為としての強制執行自体の当然違法の問題とは別に、債務名義を利用する者の行為が違法として占有訴権の対象となりうるか否かは、債務名義の瑕疵とは直接関係なく、それは結局適法な強制執行を通じ、またはこれを手段としてなす違法行為の問題とひとしく、かつまた占有訴権そのものの問題である。そして、占有訴権にあつては、法律がこの制度を認めた根本趣旨は、侵害の客体に対する事実的支配状態を一応保護することによつて社会の秩序を維持せんとするものであるから、占有の侵害が社会的秩序を乱さゞるものであるか、または秩序のかく乱が一応鎮つたとみられるときは、占有訴権によつて保護されるべき利益も存在しないかまたは消滅したものとして、占有訴権が否定せられるのである。これを強制執行による占有侵害の場合についてみると、債務名義が正規の機関によつて作成せられ、かつその執行しうべきことを認証する執行文も付与せられ、これにより執行機関が強制執行を実施するものであれば、債務名義が有効であると否とに拘らずその執行は社会的秩序の破壊とはみられず、かえつて法律にもとずく秩序の維持実現が公けにされたことになり、これこそまさに自力救済におけるが如き平和のかく乱とはおよそ正反対の現象なのである。それ故、強制執行の手段を利用する者の行為が、とくに占有訴権の対象となりうるがためには、その者が当該債務名義によつては執行しえないものであることを知りつゝあえて執行をなす場合及び債務名義が有効であつてもこれを不法な目的で利用しそれが権利の濫用となる場合等、とくにこれを違法とすべき主観的事情が存する場合か、あるいは執行の方法が著しく法律に違反し、もはや執行行為とは認められないというが如き客観的事情が存在する場合に限り、かゝる執行は社会的秩序の破壊となりうるものとみて、その場合にのみ占有訴権を行使しうるものと解すべきである。かような考えに立つならば、控訴人主張の如く、本件和解調書に各種の無効原因があつたこと、右執行には債務名義の送達を欠くこと、債務名義成立後に任意の弁済があつたこと等の事実がたとえあつたとしてもこれによつて直ちに執行が違法な占有侵害となるものではないというべきである。しかし、控訴人の右主張にかゝる事実も、その他の事情とあいまてば違法な占有侵害ありと認めるための間接事実ないし事情となしうべきものであるから、右各事実の存否について、一先ずこれを検討してみることにする。

(1)  成立に争いのない甲第一号証(乙第一、第十号証と同一のもの)、同第二号証の一、同第十六、第十七号証、原審証人大橋梅一(第一回)、同松久政市、同宇佐美幸雄、同片桐勇昌、原審及び当審証人加藤俊永(原審第一、二回)、同加藤得誠(原審第一、二、五回)の各証言、原審における被控訴人及び当審における控訴人各本人尋問の結果(たゞし、加藤得誠及び控訴人については措信しない部分を除く)を総合すると、控訴人の実弟である訴外加藤得誠は、本件和解以前において、訴外株式会社中央相互銀行に対して金四十万六千九百四円及び同福田光二に対して約三十三万円の各借受金債務を負担し、前者については自己の土地家屋に、後者については控訴人の本件家屋にそれぞれ抵当権を設定していたこと、右福田に対する債務はすでに弁済期を徒過し、高率な遅延損害金の支払を必要としていたので、この際、利息の比較的低率な訴外岐阜信用金庫から資金を借り入れ、これを以つて右債務の弁済をしようと考えたが、その場合には、新債権者となるべき右信用金庫に担保を提供する必要上、一先ず既存の前記各抵当権設定登記を抹消する必要を感じ、この抹消に要する一時つなぎの資金を獲得するため、被控訴人と共同で金融事業をしている訴外松久政市に相談したところ、同人はさらにこれを被控訴人にはかり、その結果、被控訴人において右二口の債務の立替支払方を了承し、昭和三十一年三月七日前記得誠の債務合計金七十三万六千九百四十円を立替えて支払い、ここに被控訴人は右得誠に対し同額の立替金貸付債権を取得したが、なお被控訴人は、これよりさき、別に同三十年二月十六日及び同月二十四日の両日にわたつて右得誠に貸付けた元金二十六万円及びその未払利息、遅延損害金の合計約三十万円の債権を有していたので、これを合算した合計約金百三万六千九百四十円の債権が生ずるに至つたこと、右立替支払方の交渉中、右得誠は、右の如く被控訴人には以前からの債務もありかつ遅滞がちなところから、今後の返済能力並びに前記信用金庫からの借入金を以つてたゞちに被控訴人に弁済として提供するか否か等につき、信用に欠けるところがあつたゝめ、たとえ一時つなぎの立替資金提供であるにしろ、なお前記不動産を何らかの形で担保に供すべきものと考え、その旨を申し入れていたこと、そこで被控訴人は右松久及び訴外宇佐美幸雄を通じてあらかじめ第三者たる控訴人に担保提供の意思の有無を確めたうえ、なお得誠に対しては右債務の合計と利息その他の手続費用等雑費を概算して金百十万円の借金債務を負担していることの確認並びにその担保として前記各不動産を提供すること等を内容とする起訴前の和解をなすべきことを約させたこと、この約に従つて得誠はその実兄加藤俊永とはかり、この両名において控訴人に本件家屋の再度担保提供方を頼んだこと、控訴人は当初これを拒んだものの、右得誠俊永兄弟の説得にあつて結局その旨を承諾し、その結果は右両名及び控訴人からも前記松久方に通知せられたこと、次いで同年三月十二日、被控訴人は、前記松久及び得誠から同人の和解をなすべきことを委任せられた訴外大橋梅一らを控訴人方に派して、和解をなすべきことの承諾をも求めてこれが容れられたこと、またその際、控訴人からも右大橋に和解の委任がなされたこと、かくして同日、岐阜簡易裁判所において、被控訴人の代理人宇佐美幸雄及び控訴人、得誠の代理人大橋梅一間に、控訴人及び得誠は被控訴人に対して同年四月十一日を弁済期とする金百十万円の借受金債務を負担することの確認、右債務の担保として本件家屋を含む前示各不動産に抵当権を設定すること、弁済期に右債務を完済しないことを停止条件として右各不動産を代物弁済とする旨の条項を含む起訴前の和解が成立したこと、およそ以上の事実が一応認められる。

以上の事実関係にてらしてみると、前記得誠及び俊永並びに大橋梅一において、控訴人に対する受任者としての義務(前二者は準委任)に違反する点があつたか否かはともかく、右大橋が控訴人のために本件和解をすること自体については代理権に欠けるところはなく、またそうだとすれば、右和解についての錯誤や虚偽表示の有無はもつぱら代理人たる右大橋について決すべきことである。なお、控訴人の代理権授与行為や委任契約自体について意思の欠缺が問題になりうるにしても、この点は前示疏明事実にてらして採用のかぎりでない。次ぎに、右大橋が被控訴人の選任に基く代理人で、かつもつぱら被控訴人の利益の代弁者たること、すなわち実質的に右和解が双方代理行為にあたる旨の控訴人主張事実は、その疏明がない。また右和解当時、前記得誠の被控訴人に対する従来からの債務は遅滞中であつて、右和解はその部分に関しては支払猶予の趣旨が含まれ、従つて少なくともその限りでは当事者間の互譲が存在するうえ本件和解は右遅滞にかゝる債務と立替金債務との全体につき、当事者に疑義のある履行すべき債務の内容及び範囲を明確かつ確実化したもので、かゝる場合には和解の実体的要件たる民事上の争いはこれを欠くものとはいえないのである。また、前示甲第十六号証及び成立に争いのない同第十八号証にてらしてみれば、本件家屋の時価が約二十五万円ないし四十五万円以上とは認められず、かつ前示事実関係と当審証人加藤得聞及び前示各証人の証言並びに当事者本人尋問の結果によれば、弁済期後にあつても、被控訴人は控訴人の本件家屋に対する利害に思いを致して、前記得誠のほか、控訴人の実家である訴外加藤得聞方にもしきりと任意弁済を勧めていたこと、従つて本件家屋の取得自体が右和解の目的ではないこと、またその前提たる取引も正当な経緯にもとずいていること等の事実が認められるから、前記代物弁済契約及びこれを含む和解が相手方の無知または急迫に乗じてなされた暴利行為とはいえないのである。以上の如く、控訴人の、本件和解が無効である旨の主張は、いずれもその根拠を欠くものであつて、これを採用するに由ないものといわねばならない。

(2)  次ぎに、本件和解自体の効力とは関係がないが、右和解成立後の事情につき、控訴人主張の事実の存否につきみるに、前示甲第十六号証、成立に争いのない同第二十二号証の一、原審及び当審における証人加藤得誠の証言(原審第五回)によれば、本件和解成立後の昭和三十一年五月四日頃、前記得誠は岐阜信用金庫からの借入金を以つて、被控訴人に負担する前記債務金百十万円中の一部金七十四万四千二百三十円を弁済したことが認められる。しかし、控訴人主張の如く右債務の実際の弁済期が五月末日であつたかもしくはその日まで猶予せられたものとしても、なお同日までにはその差額たる残債務金三十五万余円については、これが消滅したとの疏明資料もなく、従つて右残債務は依然として存続したものというほかはないから、右弁済期に代物弁済の効力が生ずることは否定できない。また、控訴人は、その後右の債務は完済せられた旨主張するけれども、右完済の時期が本件強制執行後の昭和三十一年八月十七日であることは、控訴人の自認するところであるから、右完済があつたとしても、それ以前に行われた右執行を違法または不当とする事情とはなりえないこともちろんである。終わりに、成立に争いのない甲第二号証の二によれば、本件強制執行以前の同年四月九日、その債務名義たる本件和解調書の正本が控訴人に送達せられていることは明らかであつて、これに反する控訴人の主張は採用しえない。

以上の如く、控訴人主張の事実は、これが本件強制執行を違法な占有侵害と認めるための間接事実ないし事情にあたるとしてみても、右事実自体が殆んど疏明せられていないうえ、その疏明ある部分を以つてすれば、被控訴人が本件債務名義たる和解調書の取得に至つた経緯及びその利用における目的、手段、方法等に不法とみるべき事由はないというべく、他に右債務名義による本件強制執行を以つて、違法な占有侵奪となすべき事由の主張及び疏明はないから、被控訴人の本件家屋中、八畳の間及びその北側に隣接する六畳の間に対する本件家屋明渡の強制執行が違法な占有侵害にあたるとの主張も、その疏明がないことに帰する。

三、よつて進んで、本件家屋中、八畳の間及びその北側に隣接する六畳の間を除くその余の部分につき、占有保持の訴が成立するか否かをみるに、成立に争いのない乙第一、二号証、原審証人奥村善之助、同神谷さだゑの各証言、当審における控訴本人尋問の結果によれば、昭和三十一年七月二十八日行われた本件強制執行当時、右家屋玄関東側の六畳の間には、同家の間借人訴外浅野健二が居住し、なお同人は右家屋中、玄関、勝手場、廊下の一部にその所有物件若干を置き、この部分を控訴人と共同使用中であつたこと、そのため右執行を実施した執行吏奥村善之助は、右六畳の間及びこれらの部分にあつては、右浅野が控訴人とは別にそれ自身独立の占有をなしているものと認め、これに対しては控訴人に対する本件債務名義で執行しえないものと考えて執行を見合わせたこと、しかし、その余の部分に関する限り控訴人所有動産はすべて戸外に搬出して、これを控訴人に引渡すと共に、右家屋を被控訴人の代理人に引渡したこと、右執行の結果、控訴人は同家屋における日常の起居就寝が不可能となり、隣家の神谷さだゑ方で寝泊りするようになつたこと、そしてかゝる状況は本件仮処分決定の執行当時まで及んだこと、被控訴人が本件家屋内にその所有物件を搬入したのは、右強制執行による本件家屋の引渡の後であること、前記執行吏の判断並びに処置は極めて正当であつたこと等の事実が認められる。右の如き事実関係によれば、右執行の結果、控訴人の本件家屋に対する占有は、右浅野の占有部分について代理人による占有関係の帰趨はともかくとして、その現実的支配はすべて喪失するに至つたものというべく、従つてその後における被控訴人の物件搬入行為等を以つて占有妨害なりとすることは、その前提たる占有権の存在が認められぬが故に失当であり、また代理人による占有の妨害なるものは、この場合、右浅野の直接支配が妨げられたことの主張、疏明のないかぎりもとより問題となりえないのでおる。それ故、控訴人の占有保持の訴に関する主張も採用できない。

以上のとおりであるから、結局控訴人の本件家屋中、八畳の間及びその北側に接続する六畳の間に対する占有回収の訴並びにその余の部分に対する同保持の訴によつて各保全せらるべき占有権は、いずれも疏明がないことに帰するが、なお叙上認定説示したところからすれば、とくに保証を立てゝ仮処分を命ずるのも相当でないから、控訴人の本件仮処分の申請はその理由がないといわねばならない。

従つて、右申請に対して岐阜簡易裁判所が昭和三十一年九月三日なした仮処分決定を取消し、右申請を却下した原審判決は、その理由は相当でないけれども、その結論は正当であつて本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三百八十四条により本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき、同法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村本晃 小森武介 鶴見恒夫)

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